特攻の街へ  

行ってきました、鹿児島へ。
九州南端、電車なら半日かかりますが飛行機なら1時間半もあれば着きます。すごい!
おかげで読書がまるで進みませんでした。

さて、鹿児島へ近づくときに見えた機窓からまずは霧島さんへご挨拶。
とても大きくさすがは戦艦に使われる名でした。
空港近くでレンタカーを借り、まずは鹿屋へ向かいます。途中までは高速が
走っていて車も少なくかなり快適なドライブとなりました。

朝一で出ましたがそれでもお昼前に到着。
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自衛隊鹿屋基地一歩手前にある資料館。庭にはかつて海自が使用していた航空機が
展示されています。ヘリならSH-60シリーズ、固定翼機ならP3C世代としては
P2Vとか置いてあって面白かったですね。

中に入ると2Fが大戦期、1Fが自衛隊の歴史を展示してあります。鹿屋基地がどう戦争に
関わっていったのかが分かりやすく説明されてました。
開戦から終戦まで時系列で並べられていて中々理解しやすく、どのように特攻が生まれ
投入されていったのかが細かく展示されています。もっと特攻一辺倒かと思いきや
その周辺の環境や小物類も展示されていてよかったですね。
飛行機の模型だけでなく艦船、特に空母の模型が多くて別の意味で楽しめました。

目を引くのはやはり零戦。
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実物大の零式艦上戦闘機五二型

大和ミュージアムでも見ましたけどやっぱりペラペラですよね。高機動を実現するため
とはいえこれに乗って戦うのはやはり怖い。

1Fは自衛隊エリアです。航空基地なので対潜機がメイン。病的といわれるほどの海自の
対潜能力発展の歴史がうかがえます。戦中あれほど潜水艦に沈められちゃそうもなります。

じっくり見ていたら2時間以上も経っていて結構疲れました。
その日は鹿児島市内のホテルへ向かって終了。桜島に向かう途中の道の駅で
不知火というみかん類の一種を見つけてニヤリ。

二日目。今度は陸軍の知覧へ車を走らせました。
陸軍特攻の記念館がありますが中はちょっとぐちゃっとした印象。展示経路が今一
分からないし関係するものを集めました、という感じでした。
ただ展示されている手紙を読んでみると中々くるものがあります。検閲を受ける前提なので
どれが本心かは分かりませんが、これから死に往くもの達が書いた手紙という事実は
変わりません。中には出撃2時間前、と記されたものもありました。

この後は近くの富屋食堂へ。食堂といっても飯を食べるところではありません。
特攻隊員が最後を過ごした食堂を移設し隊員達がどのように過ごしていたのかが
展示されています。狭いところですが内容は非常に濃いところでした。

結局特攻隊員達が無理やり出撃させられたわけではないのか、時代や国がそうせざるを
得ない環境だったのか、そういったものはよく分かりませんでした。
ただ確実に死ぬ出撃というものを前にしてそれでもいける彼らはすごい人という
漠然とした印象だけはより強くなりました。
かつて私は自衛隊に所属し最初に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえることを誓います」という誓いをして入隊しました。
ただ死ぬかもしれない、死ぬ可能性が高い任務を与えられても仕方ないと思えますが
死ぬ任務を与えられたら彼らのような行動が出来たかどうか。それが正しいかそうではないかは
別としても。

まだ見たものを全て頭で整理できたわけではありませんが、行ってきた甲斐はあったと
思います。直に触れるというのは大切なことですね。
次は佐世保にでも行ってみようか。惜しむらくは今回の旅、写真撮影可のところが
非常に少なかったのであまり記録には残せなかったところです。
なるべく記憶に留めるようにしなくてはなりませんね。


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